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ロベール2世 (ノルマンディー公) : ミニ英和和英辞書
ロベール2世 (ノルマンディー公)[ろべーる2せい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate

ロベール2世 (ノルマンディー公) : ウィキペディア日本語版
ロベール2世 (ノルマンディー公)[ろべーる2せい]

ロベール2世フランス語Robert II, 1054年頃 - 1134年2月10日)は、ノルマンディー(在位:1087年 - 1105年)。その身長から「短袴公(''Courteheuse'')」と呼ばれる。イングランド兼ノルマンディー公ウィリアム1世と妃でフランドル伯ボードゥアン5世の娘マティルドの長男。ウィリアム2世ヘンリー1世の兄。
若いころから父に反抗し、一度は戦闘中に父を殺しかけたことがあり、何度か追放を受けた。追放中に各地を旅して、トスカーナ女伯マティルデに求婚したともいわれる。武人としてはまずまずだったが、性格は気まぐれで夢想的なところがあり、実務的な統治者には向いてなかったとされる。ウィリアム1世はロベールを父祖伝来の地ノルマンディーの後継者としたが、イングランドの後継者は定めなかった。
このため、1087年にウィリアム1世が死ぬと、いち早く次弟のウィリアムがロンドンへ駆けつけウィリアム2世(赭顔王)として即位した。以降、何度かイングランド王位をめぐってウィリアム2世と戦ったが、両者がお互いの後継者となる(生き残った方が亡くなった方の領土を継承する)ことで和解した。1096年第1回十字軍が始まると、ノルマンディー公領を担保にウィリアム2世から金を借りて参加し、南イタリアのノルマン勢(ボエモンなど)と合流して聖地に向かった。
1100年に十字軍から帰路の途中でウィリアム2世が亡くなった知らせを受けたが、ノルマンディに戻った時には既に弟のヘンリーが王位に就いていた。このため、王位を主張してイングランドに侵攻したが、イングランド諸侯の支持を得られず、ヘンリー1世(碩学王)の王位を認めざるを得なかった。その後もイングランドの反乱者と組んでヘンリー1世と対抗したため、1105年からヘンリー1世によるノルマンディー侵攻を受け、1106年にタンシュブレーの戦いで敗れて捕らえられると、ノルマンディー公位を奪われ、生涯幽閉された。
== 子女 ==
1100年、コンヴェルサーノ伯ゴッフレード(ロベルト・イル・グイスカルドの甥)の娘シビラと結婚、息子を1人儲けた。
# ギヨーム・クリトン(1102年 - 1128年) - フランドル伯ギヨーム1世
また、庶子を2人儲けた。
# リシャール(1079年頃 - 1099年頃)
# ギヨーム(1079年頃 - 1111年)




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ロベール2世 (ノルマンディー公)」の詳細全文を読む




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